21周年祭ファンクラブツアー“未”参戦レポ2
空港からzeppに向かうおよそ30分、何度も震えて足がすくみました。
体調もありましたが、それ以上に精神的なものだったと思います。
今日の為に私生活をぶっ飛ばし、胃腸炎を蹴っ飛ばし、大嫌いな飛行機をぶっ放し、それでも必死の思いでここまでやって来たんです。
「体調を理由に…」なんて自己管理の甘さを理由に、彼らに会いに行かない訳にはいかない。
自分にとってたった一つ残された最初で最後の会場だったから。
9:00 zepp fukuoka着
まだ9時すぎと言うこともあり、現地ではスタッフがちらほらと、ファンらしき女の子が1人
その子も次期にボーダーとしてこの地で戦う戦友でした。
ボード立つほとまだ人が来ていないから、昼前までは体力を温存しようという話になり、近くのショッピングモールで休息を。
はっきり言って、この時点で既に体調は最悪でした
何度も何度もトイレを往復し、熱が上がっていくのをリアルに感じ…
自分の身体のことなんて自分が一番わかってるから、あの時間立ち歩くのも正直本当に辛かった
だけどそれでも、どうしても会いたかった。
44歳最後の田原さんに、リズムの師であるナカケーに、最大の憧れJENに。
何よりも誰よりも世界で一番大好きな桜井さんに。
だから、何を犠牲にしても諦めたくなかった。
自分を犠牲にしても、いつでも守るべきものはただ一つ「会いたい」っていうこの想いだけ
11:00 点滴を放たれる
zeppに戻った際、顔色の悪さを見かねたちる友が「点滴を打ったら楽になるんじゃないか」と提案してくれ
zeppのすぐそばには病院があり、その日は休診でしたが、点滴を打ってもらえることになりました。
診断してくれた年配のお医者さんは、こんな状態で関東から来た遠藤にとても驚いておりました。
「君はどうしてこんな体調中、こんなところへやって来たの?」
と。
だから一言、遠藤は答えたんです。
『どうしても会いに行きたい人がいるんです』
と。
お医者さんからはそれ以上は言及されることはありませんでした。
こんな理屈がまかり通ったのかはわからないけれど「点滴を用意するね」と言ってくれたことが
どこかこの馬鹿げた気持ちを汲み取ってくれたような気がして、ほっとすると同時に心底泣きそうになりました。
だからこのくだりはあとで美談にして、日記に書いてやろうと思ったんです(最後余計なひと言)
という訳で、地球が死んでも死なない奇跡の生命体遠藤
幸か不幸か、この度生まれて初めて病院のベッドに横になりました
点滴も生まれて初めての経験です、大の大人の癖に怖くて怖くて(笑)
恐怖から逃げるために、逃亡者を口ずさんでいたら、看護婦さんに「何ぶつぶつ言ってるんですか?」と真顔で言われ、その後は超絶安静にしていましたが(号泣)
ブラオレ福岡のJENもこんな気持ちだったのかなぁ
あの日JENは点滴を打ってドラムを叩こうとしていたことを思い出します
「ああ、そうか、こんな状態だったのか…」
痛感しました、こんな状態でドラムを叩こうとしたJENの、決死の覚悟を同じ境遇で感じ、いよいよ本当に泣けてきました
病院のベッドは気持ちがよかった
横になれるのは、本当にありがたかった
だけど武田が言っていた
「病院は景色がモノクロで、音がないわけじゃないのに音が聴こえない」
早く、早くボードをやりに会場に戻りたい
一瞬でも早く彼らの待つ会場へ
予定していた点滴の時間を少しだけ早めてもらい、すぐに遠藤はzeppへと戻りました
13:00 ボード開始
既に多くのボーダーが立っていたzeppに、一足遅れで遠藤もようやくボードと立つことが出来ました
その時も何度かトイレを往復し、やはり体調は思わしくなかったけれど、それでもようやく立てた喜びはありました
と同時にものすごく怖かった
怖かった、とてもとても怖かった
「もし、譲ってもらえなかったら」
「もし、入れなかったら」
「もし、会えなかったら」
必死で振り切る不安と闘いながらも、ひたすら立ち続けるしか術はなく
ボードの最大の敵は“不安と孤独”
どうしたって不安は生まれるし、立っている間はどうしたって孤独
この時ばかりは彼らに助けを求め、iPodで耳をふさぐことも出来ない
ボードを何回やっても遠藤は「不安と孤独」とは無二の親友になれそうもありません
16:00 遠藤、死亡
この数時間、目に見える範囲で5人の方が
そして最終的遠藤が知る限り、福岡で13人の方が
ボードを持って、チケットをゲットしていました
結果的に遠藤は、その13人の中に入れませんでしたが…
特に開場17時前後は、冷たい雨も降る中、心身弱り切っていて
もう“会えないんじゃないか”って、開演後に自分が会場外で泣いているイメージしか浮かばなくて。
病のせいでしょうか、こんなに近くにいるのに、人生であの日ほど彼らを遠くに感じたことはありませんでした。
どんなに我慢しても我慢しても、涙が止まらなくなって
まだ、最後と決まった訳じゃないのに泣けてくるんです
ただただ涙が止まらなず、もはやボードを握る力もなく
身体を必死で支えながら、雨に打たれ泣いている自分。
ボーダーとして最低な状態であると同時に、とても醜かったと思います
こんなんじゃ誰も譲ってくれないって、わかっていたのに…
そんな自分に、傘を差し出してくれた2人組がいらっしゃったんです。
17:00 遠藤、蘇生
「遠藤さんのこと、ずっと心配していました」
開口一番、そう声をかけてくださいました
見知らぬその2人は、遠藤を知っていて下さる方だったのです
「もしかして具合悪いんじゃないですか?」
「会いたかったんだよね」
「頑張ったね」
励ましの言葉、ねぎらいの言葉
その時の自分にはあまりにも大きすぎました
そしてその方たちに抱きしめられた時、孤独と不安に押しつぶされていた自分は、本当に涙が止まらなかったです
雨に濡れた身体に誰かの体温は何よりも暖かく感じました
そこで思い出しました、今日まで本当にたくさんの方から、励ましの言葉をいただいていたことを
「頑張れ」「絶対ミスチルに会ってこい」「応援してます」「いい人に巡り合えますように」
忘れてはいけない、忘れられない
東京で涙をのんだ仲間の分まで“今”ここで頑張らない訳にはいかない、と…
その際会場から少し離れた歩道橋でボードを持っていた遠藤は
その2人の励ましもあって、開場時間を過ぎた17時過ぎ
最後の一時間を最後まで戦うべく、2人と別れzeppに戻りました
「最後はミスチルのそばに行ってきな」という2人の言葉を胸に。
開演1時間を切ったzeppはボーダーと野球観戦者と参戦者でごった返し
止まない雨とその時間になってもなお、ボーダーの数は減ることはなく…
だけどその時はもう、不思議と不安はありませんでした
ここまで来たら逃げない。
もう弱音も吐かないし泣かない。
ただ、信じてボードを持とうと。
zeppで頑張っているボーダーや仲間たちの心境が痛いほど分かっていたから、一人だけ諦めるわけには行きませんでした。
18:00 開演
けれども健闘むなしく
「チケットありますけど…」
「もしよければ一緒に…」
などという言葉をついに一度も聞くことなく、ほどなくzeppは18:00瞬間を迎え
泣くこともなく、わめくこともなく、ただ言葉もなく
大切な相方である自分の武器、チケットボードを濡れる地面に落とした瞬間
遠藤は「会場に入れなかった」ことを理解しました
メンバーが到着して、会場で歓声が上がったのが14:05
(全力で目を背けたので、メンバーの姿は見ておりません)
トイレを往復した15:00前後
本当にしんどかった16:00前後
泣きながら立ち、励まされた17:00前後
そして遂にチケットを手にすることなく迎えた開演18:00
確かに今までのボードとしては最も短い5時間でしたが
それでも人生で最も長い5時間だったと思います。
その後の遠藤は陽気でした。
考えることを止めたから。
師匠やちる友とzeppの目の前でゲラゲラ笑って茶化して、売り子のお姉さんナンパして、その場にいたファンたちに話しかけたり笑ったり。
誰かといると体調不良は本気で忘れることが出来ました、噛み砕いた薬が効いてきたのもあったのでしょうか。
目の前のzeppでは、今この瞬間も彼らが演奏しているというのに、まるで実感がなかった。
どこにもリアルがなく、何度も「本当にこの中に彼らがいるのだろうか」と思った。
そしてゲラゲラと開演中のzeppを後にし
ちるなりなおき氏と、博多でご飯を食べ(ほとんど固形物は食べられませんでしたが)
ちるに空港まで送ってもらう最後の瞬間まで、遠藤はニコニコ笑っていました
一人になった瞬間、泣き崩れるまでは。
21:30 福岡発
最終便のみが残された閑散としたゲートの中で、バカみたいに声を上げて泣く大人が一人。
飛行機に搭乗し、乗った後も、乗ってからも、泣いて、泣いて、泣いて、ただ一人泣き続けました。
その後どうやって羽田空港を後にしたかは、あんまり覚えていません
とある駅で終電を逃し、だからと言ってどうすることも、立ち上がる気力もなく
ただただ泣きながら、今自分がどこにいるかも実感のないまま
暑さもない寒さもない全身に感覚もなく
ただ駅の隅にぼんやりと座って、924の田原さんの誕生日の朝を迎えました
ずっと泣いていた。
その次の日も。
次の日も。
ずっとずっと。
気が付いたら涙が出る。
何をしていてもどこにいても。
このツアーでもう一生分泣いたと思う
どんなに泣いてもこのツアーは、福岡公演はもう一生戻ってこない
絶望という言葉でも甘すぎる
あの感情は一体何と言ったらいいのだろう
はっきり言います
私は怖くて逃げたんです
あの日ボードを持ちながら、辛くて苦しくて立っていられなくて何度も場所を移動し、トイレを何度も何度も往復して何度も持ち場を離れた
それがいけなかった。
チケットを譲った人が遠藤にも声をかけてくれていたのに、遠藤は何度も移動してしまっていた
それがいけなかった。
譲ってくれる人は大抵戻ってくる、同じ場所に立ち続けることの重要さを知っていたのに…
譲り手はすべて遠藤より手前にいた人に譲っていた
以前の福岡でJENがかかったのはウイルス性、そして今回遠藤がかかっていたのは
あろうことかストレス性の胃腸炎でした。
9月23日に福岡に向かうために、ただひたすらに毎日を頑張ったから。
終電始発の日々を耐え、遅刻してでも東京に駆けつけることも我慢し。
遠藤にとってはチケットがないことより会場に行けないことの方が何十倍も何百倍もつらいのに。
だけどその結果が急性胃腸炎。
あんまりじゃないか、彼らに会うために頑張ってたのに。
体調のせいでボードもまともに描けやしなかった
それも含めて、悔しくて悔しくて悔しくて、今もこんなにも悔しくてたまらない
だからお願い、言わせてください
ツアー最終日を迎える今日だけは…
なぜ、ボードをもって同じ場所に立ち続けなかったんだろう
なぜ、福岡にしかボードを持ちに行けなかかったんだろう
なぜ、このタイミングで急性胃腸炎にかかってしまったんだろう
なぜ、チケットが当たらなかったんだろう
なぜ、どうして、誰か教えてよ…
会いたかった、会いたかった会いたかった会いたい会いたい、今もこんなにも叶うなら何だってする
何度でも言う、会えるのなら声が枯れても何度でも叫ぶ、この喉切ってくれてやる
こんなに誰かに会いたいと思ったことがあっただろうか
「会いたい」一心でこんなにも誰かを求めたことがあっただろうか
ファンクラブツアーだからとか
解禁前の新曲が聴けるからとか
zeppキャパだからとか
もうそんなことはどうだっていい
ただただMr.Childrenに会いたかった
田原さんに、ナカケーに、JENに、桜井さん
4人の姿を、あの大好きな4人の笑顔のそばにいたかった
ただそれだけだよ…
お礼を言わせてください
あの日、現地では何十人という方が。
電話やメールやTwitterやLINEを含め何百人という方たちが。
数えきれないたくさんの人が、あの日の遠藤を応援してくれました。
人生であの日程、応援されたことはありません。
この場を借りて皆さんに御礼を言わせてください、本当にありがとうございました。
特に東京の日と福岡でちる氏にはどれだけお世話になったことか。
東京でも福岡でもずっと一緒にいてくれ、遠藤の子守り、本当に感謝しています。
特に師匠が言ってくれた「ボードも立ち位置も、ボーダーとして完璧だった」という言葉は心から嬉しかったです。
最初にボーダーの心得を教えてくれたのは、他でもない師匠だったから。
これだけの励ましと応援を頂き、チケットをゲットできなかったという結果が本当に悔しい。
ありがとうとごめんね
不甲斐ない自分で心から申し訳ないです
本当にありがとう、そしてごめんなさい
さらに東京2公演、大阪2公演、名古屋2公演
本当は今回、公演数よりも多い数だけ「遠藤と一緒にライブに行きたい」と申し出てくだる方々がいました。
結果場所や時間の都合上、その申し出も全て断ることになってしまいましたが…
一緒には行けなかったけれど、こんな貴重なツアーに遠藤を誘ってくれて、本当に本当にうれしかったです。
大切な相方、入れてあげたかったです。
ボードを持ったちる友も、ボードを持った知らない方も
今回私の描いたボードを持ってくれた方、師匠。
家や仕事で留守番しか出来なかった方も。
全員、本当に全員。
彼らを愛するすべての人が彼らと会ってほしかった。
もう一つ
会えなかったこと、同じくらい辛かったこと。
今回のツアーのセトリ一曲目は私の最も大切な曲でした。
自分がこの世で最も桁違いに聴いてきた、大切な大切なかけがえのない曲です
特別なツアーだからこそ迷わずリクエストした特別な曲でした
どんなアレンジでどんな声でどんなギターでソロはどちらが
どうしても知りたいけど、どうしたって知ることは出来ない
この曲が一曲目だったと知った時が、会えない事以上に辛かった瞬間でした。
だけど、少しずつ思うようにもなりました
私は今回正解だったのかもしれない、と。
今までが恵まれすぎていたから。
何よりも大切な曲が聴けなかったからこそ、私は何度でも彼らに会いに行かなくちゃいけない
今までと立場も環境も違うから、あの頃の様に自由な遠征は出来れないけれど、
それでもはぐれた時間の隙間を埋めるように、また何度でも何度でも彼らに会いに行くよ。
愛すべき人よ、君に会いたい
例えばこれが、恋とは違くても
参戦出来なければ、顔も見ることも声を聞くこともその音を聴くこともなかった
始まることもなければ、終わることもない
だけど、生涯忘れられないツアーになったと思います
最後に一言
桜井さんの襟足見たかったなぁ…(大号泣)
台無しだぜ!!!!!!!!!!!!!!!
ほんっとーにお前ら!愛してるよ!!!!!!
ミスターチルドレンのファンはファンにとっても誇りです!!!!!!!
あなた方のファンはあなた方に誇れるファンばっかりですよ!!!!!
そしてみすたーさん!桜井さん!みすたーさん!さ!く!ら!い!さ!ん!
完走おめでとう!無事に終わってよかった!ありがとう!!!
ファンを報うこんな素敵な機会設けてくれて!!!!!!
ホントありがとな!!!!!!!(←これ大事な言葉)
愛してるよ大好きだよ養いたいくらい好き む し ろ 養 っ て(涙)
皆さま、次のツアーでは必ず笑顔で再会しましょう
大好きなちる友に、愛するMr.Childrenに
どんなに会えなくたって、今日もあなたたちが大好きです
ではまた
.