「私、ミスチル好きじゃないですかぁ?」

「知らねぇ!」心の中でシャウトした。もちろん世界の中心で。

ap bank を通じて「平成30年7月豪雨」のボランティアに行きました

 

はじめに、大雨による被害に遭われた皆さんへ心よりお見舞い申し上げます。


今回のブログの内容は、タイトルの通りです。

しがない Mr.Children ファンの僕、遠藤がこのお盆期間に ap bank を通じて「平成30年7月豪雨」のボランティアに行ってきました。

そこで自分が知った現場の状況、ボランティアの実体、どんな様子なのか、何を行っているのか?

実際にご存じでいらっしゃる方はきっと少ないと思うから、このブログを通して、1人でも多くの人に知ってもらえたと思っています。

また、ボランティアを考えている方、迷われている方に対しても、後述する ap bank や現地のサポート体制を知ってもらい、参加の足がかりになればと考えているので、現地の質問とかあればお気軽に!




一応言葉を選びながら発信していくつもりではいるけれど、自分の中で処理しきれていない部分や、配慮が足りず不適切な表現があったら教えてください。



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まず僕は岡山県倉敷市に前泊し、その翌日から3日間

岡山県の総社市を拠点とするap bank運営の、ボランティアスペースをお借りして活動しました。

ap bankというのはMr.Childrenファンには非常になじみ深い、環境保護や自然エネルギー促進を行う非営利団体です。

→詳しくはこちら(http://www.apbank.jp/about/

このap bankが8月から宿泊込みで、現地ボランティアの受け入れを行っていたので、単身岡山県に乗り込んでいきました。

主に僕が現地で行ったことは、水害による泥にまみれたお宅の掃除、流れてきた廃棄物・廃材の撤去がメインでした。

(これらは少人数のグループに分け、それぞれ派遣されたお宅で活動を行うため、実際は内容がそれぞれ異なるかと思います)

今回関わった岡山県倉敷市真備町・総社市美袋の2箇所。

派遣された地域は、特に被害が大きく、本当にいろんなことを考えさせられました。





あのね、率直な、本当に率直な印象を綴らせてほしい。

僕が活動初日、真備町に入っての、本当に最初の印象は「様子がおかしい」だった。




一見、のどかな景色と田園地帯。

それでも暮らしが隣接するように住宅が立ち並ぶ、美しい地方の風景なんだけれど、それらの住宅から、恐ろしいほどの人の気配のなさを感じた。




違和感を感じる街並み。

それを一軒一軒よく見ていくと…





ドアは全開(もしくは撤去されている)

窓にガラスはなく、カーテンもない。

机やイスどころか、家具も何一つない。

ない、何もない。

本当にからっぽになった「家」の形だけを残したような状態で。

見渡す限り、こんなにたくさん家があるのに、人が確かに暮らしていた場所なのに、と思うと言葉にできない感情を覚えた。

※実際の現地の方のお話では、水は2階近くにまで達し、作業させていたお宅や周辺のお宅でも確かに2階まで水が達した跡が見受けられました




そしていたるところで瓦礫や壊れた家電・泥にまみれた漂流物など、いろんなものが山が山積みされていた。

心苦しいのは、いまだ多くの家の中は泥だらけで、抽選(順番?)でボランティアが来るのを待っている状況、ということ。

ご年配の方は特にそうだと思う、大きな立派なお宅も多いのに「力」が足りていない。

作業状況を察するだけでも、人は全然足りていないように感じるし、はたしてこの現状が今年中に片付くのだろうか…と感じずにはいられなかった。

また、今だ避難されたままの人もいる他、避難されていない方は、この泥だらけのままのお家の2階で寝泊まりしているらしい。

夜は恐ろしいほど真っ暗で人気がなくなる、と現地の人も言っていた。




これが、この8月半ばの現地の現状。

水害から多少時間がたっていたため、ある程度は片付いているのではないだろうか?

現地に行くまでは、そう考えていたけれど、本当に甘かった。

現地に入って初めて知る、現地の状況、現地の「今」だった。




また、道中の川を見ても、その被害の恐ろしさがよく分かるんだよ。

川沿いの木や竹はすべて同じ方向に倒れていて「水の威力」の爪痕を目の当たりにさせらた。

本当は写真等で、実際に見てもらうのが一番わかりやすいだろうけど…。

ごめんなさい。

自分はそれらの光景にカメラを向けることはどうしても出来なかった。

この衝撃は、宮城県石巻にて「陸地に横たわる船」を見た瞬間と同じ気持ちだった、あの光景は今でも時々夢にみる。




だからこの場所に自分ごときが来たところで一体何ができる?初日は本当に何度も何度も何度もそう考えた。

考えながらお宅を回り、泥や廃棄すると指示出されたものを運び出し、掃除し、現地を歩き、作業を行った。





また、今回派遣されたお宅の全てはご年配の方々からのご依頼で。

ゴミ…廃棄物なんていうのは本当に心苦しい。




撤去の依頼をもらって山積みにされたそれらは、瓦礫とともに泥にまみれ、腐敗したり、虫がわいてしまったそれらは、

生活用品

丹精込めて育てた米

レコード、CD、ビデオ、学生帽からテスト勉強したノート、遠足のしおり、ぬいぐるみといったものも本当にたくさんあった。

大切にしていたものや思い入れのあるもの、たくさんあったろう。

それらが全部水につかって、泥だらけになって、山積みにされて、野ざらしになって、

ある日急に手放すことになるなんて、誰が想像つく?

誰もできないよね。




現地の人ともそれぞれの活動場所で少しお話させていただいた。

「自分の家は高台にあったため無事だったが、弟や妹の家が流されてしまった」

「農業をやっているが機械が全部水で壊れてしまった、農家はもう畳むしかないかもしれない」

「何も出来なくて申し訳ない」

気丈な人、本当に弱々しい言葉が出てくる人、どこかまだ信じ切れていない人、前を向いている人。

現地の人の印象も十人十色だった。

僕はこの人たちに、何て言ったらいいかわからなかった。

「ご無事でよかったです」それを繰り返すことしかできなかった。

それが正しい言葉だったのかは、ずっと考えていたけれどわからない。

気休めにもならない言葉しか出てこなくて、自分はこの人たちのことを理解・共感することは絶対的にできないから。

今でこそ東日本大震災の際、桜井さんがつぶやいた「それがいいことなのかはわからない」という言葉の重みが、痛いほどよくわかるよ。





そんな、悔しさや憤りを感じる3日間でした。

それでもわからないまま、活動を続けていくうちに

「(家が)綺麗になった」と言葉をくれたり、「来てくれてありがとう」と何度も何度も頭を下げる現地の人に触れて

手伝うつもりが救われて帰ってきた。

そんな心境でした。

僕の方こそ、ありがとう。





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■ap bank と現地のボランティアサポート態勢について

http://www.apbank.jp/news/180802.html

少し個人的な雑感が多くなってしまって申し訳なかったけれれど、ここからは現地のボランティア受け入れの実態について綴りたいと思う。

実際に行ってみると、今回の個の取り組みが、どれほどたくさんの人に支えられて活動できたかがよくわかりました。




個人的にはまとまった休みの中で泊りがけで活動をしたかったので「まあ最低限の衣食住がそろえばいいか」程度に考えていたのですが、

現地での市をあげたボランティアサポートのとりくみは、本当にいい意味でキタイを裏切られました。

↓まずは活動の大まかな一日の流れ



活動自体はかなりの体力を要する作業ですが、徹底した水分補給とこまめな休憩

(実際には15分に1回の休憩と、無理をさせないスケジュール間だった)

女性やお子さんは、なるべく負担にならないよう優先していたし、何よりも「選択肢の多い活動場所」だと感じました。

これはap bank fesでモリマサシさんが行おうとしていたことと一緒だね、あのルーツはこの場所にも根付いているなと心底感じます。



↓ボランティアスペース「総社カルチャーセンター」


  


ap bankの運営するボランティアスペース「総社カルチャーセンター」は施設こそ年季の入ったつくりでしたが

(40年ほど前は郵便局だったらしい!郵便局は市の真ん中にある由緒正しき建物だったんだとか)

宿泊・食事の提供だけではなく、ゴーグルや手袋・マスク・長靴・その他医療用品といったレンタル備品に始まり

シャワー・冷蔵庫・寝床・鏡やドライヤー・娯楽にいたるまで、本当に丁寧にそろえてくれていました。

  

ボランティアスペース周辺はコンビニやコインランドリーも多く、過ごすうえでは本当に快適でした。

だから最低限の準備(自分の着替えとタオル)さえあれば、本当にすぐに活動が始められるありがたい場所だった。

また、市の方たちが協力して、wifi電波の環境・周辺地図を用意してくれていた!

(これが本当に便利だった!ただただありがたかった)

近隣施設も積極的に、ボランティア対象者に温泉・マッサージなどを行う無料サービスもありました。

サテライトスペースではこちらが申し訳なくなるくらい飲み物や食べ物・塩分補給・休憩スペースを確保してくれて、本当に本当に頭が下がりました。

皆さんが大変な状況なのに、こちらへの配慮が素晴らしくて、泣いちゃいけないのに、泣きそうになる。

市長・役員の皆さんも毎朝見送り、現場動向までしていただいて、ずーっとお休みなく働いている中、どの人も笑顔を絶やさずすごいなと思いました。

派遣先の家主さんも飲み物を用意してくれたり、トイレを貸出ししてくれたり、初日に泊めていただいたゲストハウスの方も本当に。

周辺のお店のコンビニの店員さん・駅員さんに至るまで、親切な人が多く、持ちつ持たれつなこの状況。

岡山県総社市ならび関わった岡山の地域が、自分にとってとても大事な場所になりました。

 





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そしてボランティアの参加を検討している人、迷われている人がいたら、ぜひap bankのボランティアに参加してみてほしい。

これだけ多くのサポートを用意して参加の受け入れは9月末まで行っているにも関わらず、先の参加者はまだまだ本当に少ないから。

日帰りでも、泊りでも、もし機会があれば、ぜひ。

もちろんap bank以外からでも参加すること自体は、全く問題ないけれど、きっと初めての人にもすごく優しい場所で、活動を全うできると思うから。

男性1人でも、女性1人でも、もちろん友人とでも、ご夫婦でも、恋人同士でも、家族でも。

今回の活動を共にした10数名の方々は、下は中学生から、上は50代まで、いろんな方がいらっしゃいました。

僕みたいに「好きすぎて ap bank fes になりたい」というようなどっぷりファンは意外と少なく、半数はあらゆる媒体から知って参加された方々で、ラジオを聞いてやってきたという人も多くいらっしゃいました。

(特にお盆中はほぼすべてのボランティアがお休みで、受け入れをやっている団体は実質ap bankだけだったみたい)

参加の多くは大阪の人だったけれど、もちろん県も関係ないし、岡山が地元という人や実際に岡山市民の人もいらっしゃいました。

関東から来ているのは遠藤ともう1人くらいだったかな。

そして皆さんいい人だった、現地サポートスタッフさんも、活動する人も本当に。







今回、場所はたまたま岡山県だったけれど、実際には初めて降り立った場所で、正直に言ってしまえば縁もゆかりもない地域だった。

ただ、自分も東日本大震災で何もできなかったから、その罪悪感で動いた熊本震災があって、そして今回も起こってしまった豪雨水害に、なんとか自分なりにできることをしたかった。

立派な動機はない、自分の罪悪感をぬぐいたくて行った。

ただ、それだけ。
 

けれど年齢も職業も全く異なる参加されている皆さん。


それぞれの理由をもとに参加されて「何とかしなきゃと思った」「出来ることをしたいと思った」とおっしゃっていて、その立派な気持ちに、とても心が動かされたし、刺激を受けた。

僕自身も自分ごときに何ができるのだろうか?そう思いながら参加したけれど…。

こうして活動を共にした皆さんのおかげで、個では何の役にも立たない自分も、数の中に入ることでそれが力になり、本当に微力でも誰かの手助けになれた。

人は強いと思った、本当に。

立ち上がる強さは、誰もにあるとそう感じる。








最後に、自分が今回携わったのは岡山県だったけれど、周辺の県でも被害の深刻さは変わらないから、どうにか、なんとか、今は関東からでも自分のできることを精一杯やっていきたい。

そしてできればもう一度現地に行きたい、そう思ってる。

思いはあれど現地に行けない人も、募金できない人も、例えば明日スーパーに行って、該当県産のものを買ってみる…等

それでも立派な活動だと思う、その行動はまわりまわってきっと支援になるはずだ。

繰り返すけれど、このブログを通して一番言いたいことは「ボランティアの人が足りていない」と、感じたから。

この文章を綴ることで、現地を離れてもこうして情報の発信し、どこかの誰かに知ってもらい、何かしらの助けになればと思っています。




被害にあわれた地域の、一日でも早い復興を願っています。

長い目で見ても、まだまだ「今」が踏ん張りどころだと思いますが、これからも一緒に頑張らせてください。

ではまた。